子供がいる=親になる…この方程式は正しいですか?…の巻
こんにちは!クリップスのムリンズ由美子です。
私は2人の子供を授かりました。長女のミナは1000グラムに満たない超未熟児で誕生し、3か月間、生死を彷徨いながら保育器の中で命を繋ぎました。人間の本能が「生きる」ことだと、ミナがおしえてくれました。
長男のショウは元気に生まれましたが、2歳になる前に重度の自閉症の診断を受けました。お兄を考えると、人生の皮肉にも思えますが、私にとっては、宇宙一完璧な男の子です。
ただ、子供の誕生=「親」と言う方程式に違和感を覚えます(自然の摂理ではそうですが…)。「親の自覚」と言うのは、意外な瞬間に芽生える気がするのです。
ミナを授かったときは、とにかく仕事が中心でした。月の半分は出張で家にいません。家にいても仕事が主体。妊娠は病気ではないと言い聞かせ、自分のからだにも無関心でした。検診で問題が見つかり、入院するように言われた時も、予定していたプレゼンのことが気になっていました。そんな状況で生まれた我が子は、掌に乗るほど小さく、ガラス細工のような儚さ。この命を守らねばと思いましたが、「親」としての覚悟と呼べるかと言えば違う気がします。
ミナが3歳のときに、ショウが生まれました。生まれる前は、弟ができることを、ミナはとても楽しみにしていました。生まれてすぐも、小さな弟をそれはそれはかわいがっており、ヒマがあれば、ベビーベッドを覗き込んでいました。
ショウが生まれて1ケ月が過ぎた日、ミナが言いました。
「ママ、そろそろショウくんを病院に返しに行こう」
ギャンギャン泣いて煩いし、ウンチは臭いし、ミルク飲んでゲロ吐くし…かわいいだけではないと、理解したのでしょう。
「それに、ショウくんには『シッポ』が生えているから人間じゃないし…」
(なるほど、向きは逆ですが、シッポが生えていると言う言い分は、ある種正しくもあり…)
「もう要らないの。だから病院に連れて行く」
ミナは至って真剣でした。
「ミナね、ショウくんはうちの子なのよ。病院で生まれたけど、これからはずっとおうちにいるのよ」
そう、子供はトリセツのない、返品厳禁な複雑な生物なのです。生まれた瞬間に「XX家の子」と言うタグまで貼られて所有権を渡され、うちで育てるうちの子なのです。
3歳のミナの言葉で、「その瞬間」が突然きたのです。
「返品できないんだ、この子、ずっと私の元にいるんだ」と思ったとき、自分の中に「親の自覚」が芽生えたことを確信したのでした。

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