「共生」を考える:序章…の巻
こんにちは!クリップスのムリンズ由美子です。
先日、とある縁があって、区立の小学校6年生と交流を持つことになりました。
その6年生たちは、「共生について考える」をテーマに授業を行っているとのこと。今の教育現場は、私が育った時代とは随分違い、モノゴトを能動的に考えていくと言う姿勢は、未来の人間たちに必要であり、そのような授業を取り入れることは、一種のグローバル化だと思います
私が小学校生だったときは、確かテレビで「道徳」と言う番組を見ることが、それに限りなく近いことだったと思います。そこからディスカッションをして、みんなで考える形式でなかったことがとても残念だと、大人になった今(って相当前になっているわけですが…)改めて思います。
教えられること(インプット)はとても大切だと思いますが、それと同じくらい「自分で考えること(アウトプット)」が重要です。私自身も「考える時間」を作るようにしています(ときどきそのまま気を失っておりますが…)。
話は逸れましたが、「共生について考える」授業を進行するに当たって、「外国人目線」「障がい者目線」と言う立ち位置で、生徒たちからインタビューを受けたと言うのが今回の交流の主旨でした。
今回この題材をコラムに書こうと思ったのは、「共生」の概念が、現代においての大切な課題と考えるからです。
「共生」とは、人類が存続していくための基盤です。
「共生」できれば、戦争は起きません
「共生」できれば、いじめもなくなるでしょう
「共生」できれば、差別と言う概念が緩和されます
「共生」できれば、世界はもっと平和になりますよね?
インタビューでは外国人目線と障がい者目線を短時間に織り交ぜてしまい、焦点が定まらなかったことを反省し、そのインタビューに向けて私が考えたことを、整理して記しておくことにしました。
介護・福祉の世界では、「共生」は根底にある理念でなければいけません。しかし、現代社会は、そして人間の心理はとても複雑です。そこには様々な欲や偏見が存在し、「共生」を難しくしていることは否めません
しかし、人は誰しも、心のどこかで「共生」したいと思っているはずです。平和を望み、それを可能にするのが「共生」であるのなら、当然のことながら「共生」に異議を唱える人はいないはずです
「共生」その①(次回)は「外国人目線」に焦点を当てたいと思います
「共生」その②は「障がい者目線」から書いてみようと思います
それでは次回…