共生を考える②:実はコインの表と裏の関係…の巻
こんにちは!クリップスのムリンズ由美子です
共生その②…障がい者との共生
共生の一番のハードルは、無関心と無知から生じる「先入観」です
個々が「共生する」と言う意識、つまり関心を持てば、自ずと共生は叶います
人間は、誰かを差別したいと、生まれながらにして思っている人はいないからです
育った環境、家族の価値観、メディアが作る虚像により、人間は先入観を持ちます
そして、無意識のうちに、その先入観を元に、人を「区別」し、ときとして「差別」が生まれることがあります
人類の歴史において、「障害」と名付けた経緯があるわけですから、一般的にはそれを差別する風土があったと思います。悲しい歴史です
ただ「障がい者」とは、そんなに未知で、稀有な人物たちではありません
「障がい」の反対にあるのが「健常」であるのなら、健常の方が当たり前に思っているその特性が、ある日突然、障がいに転じることがあるからです
交通事故や病気で障がい認定を受けた方を、たくさん見てきています
うちのオニイのように、医療ミスもあります
スポーツで負った傷、仕事中の事故、虫に刺される、感染症から生じる、難産…障がいの多くは日常的な原因から生じます
明日目が覚めたら、いきなり肌の色が変わっていることはあり得ませんが、「知らない、興味がない」と思っている「障がい」は、想像するよりずっと身近に潜んでいるのです
言ってみれば、人生において、健常と障がいは、コインの表と裏の関係なのです
誰でも障がい者に成り得ると言うことは、社会は「障がい者予備軍」たちで成り立っていることになります
考えるべきことは、「予備軍」から当事者になった方ではなく、その周りの人が、どのように考え、どのように対応していくかです
それこそが「共生」の認識だと思います
この状況を、ダーツの的に例えると、ド真ん中の100点が障がいを持っている当事者であるので、関心があるとかないとかの立場ではありません
75点までは家族や身近な友人、50点が近隣の人や、会社のユルイ繋がりなど。そこまではたぶん「共生」することを選択されると思います
50点より外にいる方たちがどう対応していくかが課題です。50点…これまでちょっと会釈するだけの同じマンションの住民。子供同士が友達の親たち:付き合う必要もなければ、それで困りもしない人たち
その人たちが、「面倒臭い」と感じるのであれば、「共生」は不要と判断しているのでしょう。付き合う必要もないので、「ないことにする」グループです
もう一つ、「存在を認識して距離を置く」と言う曖昧な位置づけも存在します…そしてそのグループは、比較的大きいと思います
存在の認識は、インターネットなどで、情報が取りやすい今日、難しいことではありません。ただ、認識するだけは「無知」とは言いませんが、「無関心」であることは否めません
関心を持つことは「理解」する、または、「理解しようとする姿勢」だと思います
別に明日から親友になる必要はありませんし、それまでより距離を詰めるのもおかしな話しです。ただ、その方の生活がどんな風に変わったかを察するだけでも違うと思うのです
結局「共生」へのメッセージは、外国人・障がい者、その他、どんなグループであっても変わりません
個人を見てください。その方は誰かにとって大切な方なのです
関心を持ってください。想像するより身近なことなのです
そして、先入観を捨ててください
先入観は、天気に例えるなら雨雲のようなものです。雲が晴れると、違う景色が見えるかもしれません
共存すること、それは生きている世界が広がり、新しい景色が見えるテーマです