恋愛にルールは要りますか?…の巻
こんにちは!クリップスのムリンズ由美子です。クリップスでの経験は、モノゴトを改めて考える機会を与えてくれます。
クリップス発足後1ケ月に満たないその日、ヘルパーの後ろに着いて、とある支援に行きました。
重度の身体障害と、軽度の知的障がいを持つAさん(当時30歳、男性)。ご家族が留守の間、日常を支える支援でした。
事業計画の中の介護(つまりは想像)が、生々しい現実と化した日でした。
優しい笑顔のAさんは、四肢麻痺で車椅子に座っていました。(介護業界1年生の私は、四肢麻痺が「シシマイ」と聞こえ、大きな勘違いに繋がることになります。しばらくの間、獅子舞と肢体不自由の関係性―全くないわけで―を真剣に考えることになります)。
ベテランヘルパーはテキパキ動きます。鮮やかな手さばきは見ていて惚れ惚れします。
Aさんは、介護技術ゼロでも、話だけは熱心に聞く私相手に話しをします。
「ユリさん(仮名)は、僕の作業所にいる人で、いつも一緒にいます。
ユリさんはとてもとても優しい人です。僕は大好きです。本当に優しくて大好きなんです」
丁寧に言葉を紡ぎ、濁りのない真っ直ぐな表現が新鮮でした。
麻痺があり、からだは思うように動きませんが、好きな人がいる日常はきっと充実していると想像します。
「でも、ユリさん、死んじゃったんです」(え?)
こういう思い掛けない展開は、不得意極まりなく、対応が不適切になります。
「…それは本当に悲かったですね」
不適切:全く気が利かない応答。舌打ちしたくなるほどの罪悪感。
「はい、悲しいです」
「ご病気だったの?おいくつだったの?」
「ユリさんは病気でした。60歳でした」(あれ、60歳って言った?)
30歳のAさんは悲痛な面持ちで言葉を絞り出してくれました。
同世代のカノジョだろうと言う、俗物的な持論に左右されている、我が脳ミソが不純に思えてきます。
優しさに惹かれる清らかな恋、Aさんの純真さに痺れます。そしてその恋が短か過ぎる思い出となったことが苦く、ただその時間が、充実した幸福の空間であったことにホッとします。。
一方で、世俗の根底に潜む、汚れた現実、恋愛の矛盾と残酷さが、胸をチクリと刺します。(法律から削除されましたが、旧優生保護法のような考えがあったことは事実です)
Aさんの恋に年齢は無意味です。恋は心と心の繋がりです。もし障がいと言う壁がなかったら、違ったのでしょうか。そうでないことを願い、Aさんの心に芽生えるような恋が、世の中に溢れることを心から願います。
恋愛にルールは要りません。