血は水より濃いのでしょうか…その①…の巻

こんにちは!クリップスのムリンズ由美子です。

ぼやきです。

私は人生の半分以上を海外で過ごしてきました。ちょうど人格形成に重要な、小学校高学年から高校2年まではアメリカにいました。私のルーツは間違えなく日本にあるのですが、形成期の影響はやはり大きく、ときどき日本では「当たり前」のことを不思議に思ったり、「気にするべき事」を取るに足らないと思ったりすることがあります。

その一つに家族の考え方があります。

「血は水より濃い」と言うことわざがあります。チャットGPTに訊くと、次の説明をしてくれました。

身内には他人とは比べ物にならない愛着があることや、どのようないきさつがあろうと血縁は断ち切れるものではないというたとえ。

この言い回しは、実は英語でも全く同じなのです。ただ、社会への根付き方は、文化によって、また、時代によって随分と違うと感じます。

確かに、DNAは親から子に受け継がれ、生まれてきた子が親に容姿が似ているだけではなく、性格や趣向が似ていることも多々あります。子孫繁栄と言われる通り、自分のDNAをより多く残したいと言う本能、種の保存に基づくので、生物としての人間には備わっています。

しかし、DNAの情報は持って生まれるるのに対して、生まれたの情報は、組み込まれたDNAより強く表れることもあると思うのです。つまり、個人の育った環境や、選択した人生によるところが大きいと思うのです。

友人のハイディの家を訪れたときに、彼女が私に言いました。

「私はこの家の養子なのよ。妹もそうなの」

当時私は中学1年生だったと思います。それを聞いたとき、私は全く無感情でした。ふーん、そうなんだとだけ言って、そのときは確か、二人でクッキーを焼いていたのですが、その手を止めることなく、材料をグルグルかき混ぜていたと思います。

ハイディがどうして私に養子の話をしたのかもわかりませんし、それはただ、クッキーを作るときにフッと沸いて出た話だった気がします。昨日の夕食が何だったか話すような、そんな他愛もない会話でした。

私にとって、それまで深く考えたことのない概念だったので、「額面通り」受け止めただけの事実でした。そういう親子もいるのね、ぐらいな感じでした。

私の義妹(アングロ系アメリカ人です)も、アフリカ系の乳児を養子に迎えました。肌の色は明らかに違いますが、親子愛はとても深く、親子以外のナニモノでもありません。

アメリカは合衆国で、様々な人種、国籍が交じり合って成り立っているから、血の繋がりはもちろん、異文化を家族として取り入れることも厭わないのかしらとも思います。

そして、日本は島国で他民族の交わりが希薄だから、「血筋」であることに拘るのでしょうか。

もちろん最終的には国の違いではなく個人の考えです。考え方は国や文化に関係なく、賛成派と反対派が存在します。

血筋ってそんなに大切なのですか?

次回に続く…

ムリンズ由美子

PROFILE
クリップスグループ代表:ムリンズ由美子

東京都在住。一男一女、施設に暮らす兄、黒柴犬(オス)、アメリカ人の夫。
幼い頃から身近な家族を含め、多国籍の障がい者、高齢者と接する機会に恵まれました。
その触れ合いは、人間の純粋な本質と、障がいや高齢の方々の世界には、国境がないことをおしえてくれた、私の原点です。