「共生」を考える①:小さな異国のオジサンの声…の巻

こんにちは!クリップスのムリンズ由美子です

共生その①は、日本に住む外国人

日本人の私がなぜ…ですよね

私は、ドイツで生まれ、アメリカで成長期を過ごし、高校2年から日本。大人になってアメリカに戻り、イギリスで修士を取って4年、再びアメリカ、その後上海、帰国までロサンゼルス…と地球を巡ってきました。国外追放されたようにも見える人生…地球を放浪して、数年前、無事に帰国しました

日本国籍は有してはいますが、日本では「日本人離れしている」と言われ、海外にいれば、やはりそこのネイティブとも違います。そこだけ切り取ると、私はどこの誰でもなく、地球に住んでいると言う存在です

日本人の皮(国籍ね)を被った、小さな国籍不明のオジサン。それもまた、私なのです

日本は島国。21世紀に島国の概念なんてナンセンスと思うかもしれませんが、一国が背負う文化は想像以上に重いもの

海を渡らないと他国に行けない日本は、純血民族から成る集団社会。集団だから、協力する気持ちは強いですが、「共生」とは違う気がします

集団社会は、個人の意見より民意を重んじます。団結と言えば聞こえがいい。でもこれは民主主義ではありません

みんなが同じ方向を向くことが好ましい(ように見えます)

 

個性より、集団

個性とはそんなに疎ましいものでしょうか

個性…言い換えれば、自分らしさです

 

人間は、群れを成す動物です。それが社会です

日本はシマウマの群れのように、遠目では、個体の区別がつきにくい集まりに見えます

私が長年暮らした国は、個人主義であり、個性を重んじます。しかし、別にバラバラな社会ではなく、異なる個性が群れを成して「社会」を構成しています。動物園みたいな場所です

言い換えると、互いに違いを認め、尊重し合うことで、社会は立派に成り立ちます

それが共生だと思うのです

島国文化は外国人に対して関心が薄く、ある意味「よそ者扱い」して、社会に受け入れないように映ります。メディアの在り方だとは思いますが、外国人による犯罪は、「XX籍の…」と言うように、外国人であることを誇張し、マイナスイメージを与える報道の仕方が気になります。メディアが生みだした外国人像により、余計無関心になり、無意識な差別が起こる気がします

逆を考えてみます。例えば海外の報道で、「日本人の犯罪者Xが…」と報道すると、犯罪者はXと言う個人で、それがたまたま日本人だったのに、まるで日本人を非難しているように聞こえます

罪を犯すのは、個人です。国籍はその個人の特性にしか過ぎません。悪い人は何人でも悪いし、いい人ももちろん国籍不問です

国籍を見ないでください

肌の色は視覚があれば見えますが、あくまでも色であって、赤いTシャツと青いセーターぐらいの違いです

年齢も、言語も、宗教も関係ありません。良い人はどんな組み合わせ(国籍、肌の色、言語、宗教、他、多数)であってもいい人です

木を見て森を見ずなどと言う言葉がありますが、共生を意識するなら、森を見ずに、木を見て欲しいと、心から願います

個人を見てください

個人を知ってください

個性を受け入れてください

あくまでも私の中に棲む異国のオジサンの意見です。一般論でないことは承知しながらも、オジサンは言いたいのです

日本は素晴らしい国だと思います。また、外国人が日本を居住地に選んでくれることも誇らしく、もっともっと日本を愛してもらいたい。そして、日本の方々には、彼らが生きてきた文化や個性を理解することで、共に、より良い社会に発展させることを願います(小さな異国のオジサンの声)

 

 

ムリンズ由美子

PROFILE
クリップスグループ代表:ムリンズ由美子

東京都在住。一男一女、施設に暮らす兄、黒柴犬(オス)、アメリカ人の夫。
幼い頃から身近な家族を含め、多国籍の障がい者、高齢者と接する機会に恵まれました。
その触れ合いは、人間の純粋な本質と、障がいや高齢の方々の世界には、国境がないことをおしえてくれた、私の原点です。